折尾愛真
記念館(静和館)は、1909年(明治42年)に折尾警察署として建築され、1941年(昭和16年)に本校が譲り受けた。創立50周年記念事業の一環として食堂を含む特別教室の新築にともない記念館として現在の場所に移築され、70周年記念事業として改修工事を行う予定であったが、ようやく此の度改修工事が完了し7月1日(月)完成感謝会が開催された。

創立者増田孝著「折尾女子学園四十年史 その苦難と恩寵」
(七)校舎建築(その二)より
(昭和50年11月1日発行)

 一、逐年増加し来れる生徒数は、昭和十六年度に於て三百名を遙かに超えることとなった。設立当時の生徒十数名に比して、隔世の感があった。この多数の生徒を収容するに校舎は甚だ狭隘であった。校舎の建築は緊急の要請であった。

しかし新しき資材にて建築することは、当時、支那事変中の時局下にては不可能とは言わざるも、困難なることであった。まして百坪の建築の計画に於ておや。然し困難なるが故に退くわけには行かない。信じて突き抜ける外はない。ここにも亦、幸なる機会があった。

それは町内の旧警察署百五十坪の堂々たる二階建の庁舎が正に売払はれんとしていることを知った。直ちに折衝を開始して、村田町長の厚意の下に買収することが出来たのである。幸いにもこの資材に新資材を加えて建築資金を調達、建築計画の実現に着手したのである。

一、資材も不足、労力も不足の時代である。県知事の建築許可を得ることの困難は、予想以上であった。
建築に要する相当額の資金を如何にして調達し得べきか、実に小なる個人の力を以てしては余りにも難きことであった。

しかし見えざる手に導かれつつ建築の許可もあたへられ、資金も乏しき中にも次々に充たされて行った。思はざる人々の寄附の申出もあった。

昭和十六年六月に着手したる建築は、その年の十二月堂々たる二階建百坪の校舎の竣工となった。其の一本の柱にも、一枚の瓦にもこもる苦心の跡が偲ばれるのである。
その苦心は、彼の父と彼の胸とに刻まれたる秘めごとであった。

この校舎の竣工により生徒収容数を増加するを得て、昭和十七年度の現在に於ては、既に四百名を超える生徒が、勉学にいそしむことが出来ているのである。